企業名である「ニチエツ」のエツ(越)はベトナムのこと。多くの起業家たちと違い、社長の中村高志さんには、当初、起業願望はなかった。そんな中村さんが、ベトナム駐在で迎えた転機とは?
大手企業の恵まれた環境を捨てての独立。創業からほぼ2年間は売上が立たず、精神的に辛い時期も経験した。それでもくじけなかったのは、「モノづくりの楽しさ」と「自分たちの製品で働きやすい職場を作りたいという思い」があったから。
今年2月に、横浜ビジネスグランプリ2020で見事グランプリを獲得した技術者系経営者に話を聞いた。
起業は考えていなかったが、ベトナムで人生が変わった
大手OA機器メーカーに在籍していた中村高志さんがベトナムに赴任したのは2012年のこと。現地の成形(※1)工場を拡張することになり、その立ち上げと成形工場のマネジメントが中村さんのミッションだった。赴任当初は、後に自身が起業することになるとは全く思っていなかったという。それがなぜ会社を興すことになったのか?
「それまで本社で成形関連の技術開発を担当しており、ベトナムに赴任してマネジメントをしなさいと言われたときは、もう開発者としての自分の役目は終わったのだなと、寂しい気持ちになったのを覚えています。何かを開発するのは苦労ばかりですが、開発が好きでした。ベトナムの赴任先は生産に特化した工場だったので、私のミッションに開発は一切ありませんでしたが、赴任してしばらくすると『こここそが開発に最適な場所だ』と気づいて、なかば独断で開発チームを結成しました(笑)」
そう思わせた要因の一つが、ベトナム人技術者たちの熱心さだった。
「ベトナムの人たちはすごく優秀だし、真面目で目がキラキラ輝いている。仕事を通して何かを吸収してやろうという向上心が非常に強く、知恵を絞り、工夫をしてくれます。そして現場があるからこそ、ニーズがわかり、何かにチャレンジすれば良くも悪くも結果がすぐに出るので、間違っていれば修正もすぐに可能です。それから、日本の企業だとどこでも、サンプル一つを作るにしても上司に説明して相見積もりを取ってなど、煩雑な手続きが必要ですよね。だけどベトナムでは、こういうのを作りたいと手書き図面などで説明すると、『OK、ナカムラ、わかった』と言ってその日のうちにでも作ってくれる。マネジメントをしながらの開発は大変でしたが、スピード感あふれるベトナムでの5年半はとても充実していました。成果も評価され、光栄にも本社トップから社長賞を3回いただきましたが、何よりチームでのモノづくりが本当に楽しかったです」
一方で、成形工場という現場で働きながら、新たな事業のアイデアも浮かんできていた。
「現場にいると、働いている人たちが何に困っていて、何が必要なのかが見えてくる。たとえば、成形機には金型を取り付けますが、これが重くて危険な上に、非常に時間がかかります。そこを改善したい、世界中にたくさんある成形工場で働く人たちの環境を、私たちなら少しでも良くできるのではないか、という思いが、結果的にニチエツの第一号製品に結びつきました」
※1…プラスチックなどの合成樹脂を加熱して、金型に押し込み、部品や製品として形を整えること。詳しくは次の項を参照。
身の回りのほとんどの製品の部品が「成形機」で作られている
ここで少し、成形機やニチエツの製品について説明しておいた方がいいだろう。世の中のほとんどの製品の部品は、成形機に金型を付け、プラスチックなどの原料を流し込んで固めて作っている。しかし、中村さんの話のように、金型の交換に手間がかかることが、生産効率を下げる大きな要因となっている。それを改善するための「自動金型交換装置」が、同社の第一号製品だ。
「以前から交換装置はありましたが、価格が高い上に、それほど生産効率も上がらないことから、それほど普及していませんでした。私たちが開発した製品なら、これまで30分以上かかっていた金型交換が最短2秒ほどでできるようになり、劇的に生産効率が上がります。その上、価格は従来装置の6割程度に抑えており、短期間に投資回収が可能です。成形は一般の方にはわかりづらいのですが、たとえばこのスマホ1台には、17枚の小さいレンズが使われており、それもすべて成形機で作られています。私たちが日常で使うあらゆるものに関わってくる重要なインフラで、そこを効率化できれば社会的な貢献も大きいと思っています」
2017年10月末に日本に帰国すると、11月には起業を決断した。そして2018年5月で勤め先を退職し、6月にニチエツ株式会社を創業した。
「ベトナムにいる頃から、『こんなチームで起業したら、いままでにない製品を作れるのではないか?』と、ポッと頭に浮かんでは、『いや、そんなこと、ないない』と否定するのを数カ月以上繰り返していましたね(笑)。日本に帰って、その気持ちを抑えきれなくなりました。実際に会社が稼働したのは、前の職場を退職してからですけど、法人登記だけは急いで行いました。ベトナム人が日本のビザを取るのに3~4か月間かかるし、会社がないと社員を呼べないためです」
創業に当たっての重要な鍵が優秀なベトナム人の雇用だった。人材は順調に確保できたのか?
「ベトナムは人材の流動性が高いので、元の職場にいた誰かが今は別の会社で働いているという話を聞いてスカウトしたりしました。ぜひ来てほしかった相手に断られたこともあります。ベトナムの職場は成形工場でしたが、私がやろうとしているのは、成形工場を改善するロボットを作る会社なので、そこで自分が役に立つのかという心配があったようです。でも何度もベトナムに足を運び、誠心誠意こちらの気持ちを説明し、僕らの会社はどうあるべきかを話し合い、最終的には納得して、求めていた人材をほぼ採用することができました」
2年間売上が立たず、様々な助成制度を利用
念願叶って創業したものの、資金面での苦労は大きかったという。
「自分の貯金を資本金などに充てた他に、日本政策金融公庫(※2)と、横浜市信用保証協会(※3)の制度を利用して、融資を受けました。資本金を999万円にしたのは、1千万円未満だと消費税が2年間免除される(※4)からです。でも弊社は2年間売上が立たなかったので、無用な配慮だったのですが(笑)。中小企業庁が実施している『ものづくり補助金』(※5)も利用しました。
ただ、開発中は、もっといいものを作ろうと何度も試作品を作り直したので、相当お金がかかりました。創業から2年間、売上が立たない中でも、社員への給料など出費はかさみます。開発期間中は出費しかないのに金融機関への返済はすぐに始まるので、返済の原資は借りたお金となるのが地味に辛かったですね。(笑)。ハードテックのモノづくりベンチャーは開発に長い期間が必要なので、その準備と覚悟は必要です。」
費用の中でも大きかったのが、特許などの出願にかかる費用だった。
「例えばプラスチックの成形機は世界中に80万台から100万台あると言われています。最初からグローバルな販売を考えていたので、日本だけでなく、海外でも複数の国に特許などの出願をしました。怖くて正確に数えていないですけど(笑)、30件くらい出願して少なくとも1,500万円は支払っています。その出願料を助成してくれる『中小企業等外国出願支援事業』(※6)を何度か利用しています。外国出願は日本で特許出願してから1年以内に行う必要があり、補助金の時期と合うように、日本での出願のタイミングを調整したりしました。
自分は技術者だったので支援制度に詳しくなく、会社を始めてから支援機関の方に教わったり、情報収集したりして、勉強しました。各種の申請は、応募倍率が高いですし、非常に分厚い資料の準備が必要で、入れる封筒を探すのが大変なこともありました(笑)。でも、我々中小企業の経営者には大変助かる制度です」
そうなると、なおさら製品を販売する営業には力を入れなければならない。けれど中村さんは、そこがネックだと感じていた。
「私だけでなく、ベトナム人メンバーも全員が技術者で、良い製品を作れる自信はあるけれど、販売や営業、アフターフォローをできる人間は誰もいませんでした。そこでこの弱点を補うために、営業の人材を探すのでなく、すでにグローバルなお客様を持っている成形機メーカーや成形機の周辺設備メーカーと協力する道を考えました。幸い、私の前職時代に面識があって、私の人となりを理解してくださる会社がありました。ただ、もう以前の会社の看板はありませんので、まず海外の大きな展示会に足を運ぶことで、ネットワークを築いていきました。というのは、展示会では企業のトップや事業責任者が自社のブースにいることが多く、日本からの参加者も少ないので、日本ではなかなか会えない方々とお会いできる機会があるからです。
今年度、3期目にようやく売上が立ち、現在は数社と協力関係にあります。先行投資がかさんでいるのでまだまだ売っていかないといけませんが、今後も販売や設置と保守の一部については、パートナー企業にお任せするつもりです。苦手分野を無理して克服するのではなく、それぞれの得意分野を担当した方がいいという考え方です」
※2…政府全額出資の金融機関。国の政策のもと、創業支援や中小企業の事業支援などを重点的に行っている。創業時から利用でき、低金利で融資を受けられる。
※3…横浜市内の中小企業・小規模事業者が金融機関から融資を受ける際に「公的な保証人」となり、融資の道を開くために設立された公的機関。
※4…免税事業者となるには「資本金1,000万円未満」「特定期間の課税売上高が1,000万円以下」などの条件を満たす必要がある。
※5…ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金。新しいものづくりなどに挑戦する中小企業・小規模事業者等に交付される補助金。上限額は1,000万円または3,000万円(令和2年度)。
※6…外国へ特許、実用新案、意匠、商標の出願を予定している中小企業等に対し、外国出願に要する費用の一部を助成する制度。例年、特定の期間に応募を受け付けている。
横浜ビジネスグランプリがもたらした新たなベース基地
事業がようやく軌道に乗り始めたところへ、横浜ビジネスグランプリ2020(※7)でのグランプリ獲得という追い風も吹いた。応募の動機は何だったのだろう?
「弊社はBtoB(※8)企業なので、賞を取って知名度を高める必要は、実はそれほどありません。けれど(公財)横浜企業経営支援財団(=IDEC横浜 ※9)の方が応募を勧めてくださいました。ファイナル審査には投資機関や金融機関の方も来場されますし、審査員長がバイオベンチャーである株式会社ユーグレナの出雲充社長だったこともあり、参加することで、そうした方々からの率直なコメントやアドバイスをいただきたいと考えたのが、主な応募動機でした。ただ、グランプリを取れるとは思っていませんでした。たとえば、農業関連の事業だと高齢化や人材不足などが広く知られていて、社会貢献度がわかりやすいのに対して、『成形機の金型交換装置』と聞いても、大抵の人はわからないじゃないですか(笑)。だからプレゼンの際には、専門家でない人にもわかりやすく、実は私たちの生活にも大きく関わっているということがきちんと伝わるように心掛けました」
グランプリを獲得し、何か変化はあったのだろうか。
「残念ながら、今年の最終審査はコロナの心配が高まってきた時期で、来場者も多くなく、交流会もなかったので、期待していた交流はほとんどできませんでした。コロナでなければ、もっといろいろな出会いがあったと思います。ただ、一番大きかったのは、出場したことで横浜市から、現在の拠点を紹介してもらえたことです。だから交流の場に出て、顔を広げていくことは大切だと感じています」
ニチエツは2020年9月の初め、都筑区の本社から、三菱重工業株式会社が横浜製作所本牧工場の中に共創の場として設立した「Yokohama Hardtech Hub」に移転した。同施設は10月に本格オープンした。
「以前の拠点は、モノづくりをするには手狭だったので、広々と作業できて嬉しいですね。港にも近いし広大な敷地なので物品のハンドリングも楽。三菱重工さんからもアドバイスがもらえます。まだ入っている企業は多くないですが、早くたくさんのベンチャーに入ってほしいと思っています。以前の拠点では周囲の企業とほとんど交流もなく、引きこもっていたので(笑)、互いに苦手なことを助け合う、ベンチャー同士の横のつながりと相乗効果に期待しています」
最後に、今後の展望と起業を目指す人へのメッセージを聞いた。
「今年はコロナの影響で、出展準備を進めていた大きな展示会が中止になってしまいました。その分、オンラインで展示会をできるよう、動画作りを勉強するなど、新しい動きが必要になってきています。最初に話したように、成形はあらゆる製品作りに関わっていて、目立たないけれど、改善できれば世の中への貢献は非常に大きい分野です。第一弾として自動金型交換装置を製品化しましたが、これは製品の一つであって、成形工場全般の自動化推進が弊社の目指すところです。今も頭の中には改善すべき点や構想が浮かんでいて、順次事業化していきたいと考えています。弊社の製品を導入した方たちに、『利益が増えた』とか『働きやすくなった』と言ってもらえるよう、頑張り続けたいです」
「アイデアをもとに起業する人も多いと思いますが、私は、アイデアは現場からしか生まれないと考えています。現場を観察し、仮説を立て、チャレンジすることで新しいアイデアも生まれるし、周囲とともにチャレンジすることで、仲間やパートナー企業が増えるきっかけにもなりました。だから企業で働いていて、起業したいと思っている人には、まずは今の職場で課題にしっかり取り組むことをお薦めします。工場に限らず、開発や営業でも、すべての現場には課題があって、まだ見ないアイデアがどこかに隠れているはずです」
※7…公益財団法人横浜企業経営支援財団主催、横浜市経済局共催。横浜での起業や新規事業展開に挑戦するビジネスプランを全国から募集し審査するコンテストで、2003年から実施している。2020年は一般部門82件、学生部門37件、総数119件の応募があった。
※8…企業間で行う取引。対して食品などを消費者向けに販売する取引をBtoCという。
※9…横浜市の「中小企業支援センター」。中小企業等の経営基盤の安定・強化をはじめ、経営革新、新事業創出、創業の促進を図り、横浜経済の活性化と地域社会の健全な発展に寄与することを目的とした公益財団法人。
【プロフィール】
中村高志氏
ニチエツ株式会社 代表取締役
1975年、大阪府出身。大手OA事務機メーカーなど2社に技術者として約20年間勤務。
2018年6月に、ニチエツ株式会社を創業後、世界最速・最小の金型交換装置の開発に取り組む。19年7月、ベトナム法人「Nichietsu Machinery Co., Ltd」を設立。
【取材】
2020年9月
インタビュアー・執筆/古沢保
編集/馬場郁夫(株式会社ウィルパートナーズ)